素晴らしい日本人に聞くシリー

第2章 神職として 人として
『評価されたいからではなく』

藤原美津子:上野様は、神様が後押ししてくださったのだということをどういうときに、実感なさったのでしょうか。

上野貞文様:鶏鳴役を務めましたあとに、宮掌という四十名の中から二十名の上の中に入って行くときに、十何人か先輩達を飛び越えて、その二十名の中に入って行ったのですが、それは神様が「よくやったな」とご褒美をくださったということらしいのです。

藤原美津子:そうですか。

上野貞文様:今小宮司をしている私の後輩にも、「上野さんは義経みたいなものだ。」と言われました。

藤原美津子:何段飛びかの?八艘飛びみたいな…

上野貞文様:また、権禰宜からは、禰宜にならない人が多くて、必ず脇に参事が何人かいて、みんなそちらに行ってしまうのです。そうなるとお祭り事ができない。だけどその方にも行かないで、権禰宜から禰宜に上がって行った。これも幸運でした。

藤原美津子:そういった幸運は、やはり神様の後押しがあってこそ、なのですね。よく藤原も申しているのは、「神様が受取られるのは、真心のみ」だと。

「真心は自分の中にあるものだから、他の人は誤摩化せても、神様と自分自身は誤摩化すことができないだろう」という言い方をしています。

上野貞文様:神様にお仕えするときには、「神様はどのようにすれば、一番ご満足いただけるのか、喜ばれるか」そういうことだけを考えます。

「これだけやったら神様から評価されるだろう、褒めてもらえるだろう」というそういう観念では、本当のご奉仕はできません。

それは、神様のお立場になってみればわかることで、それは人間でもそうです。いろいろな方がいるけれど、相手に対して、「何に一番関心をお持ちで、何を望んでいるか」を察知しながらそれに応えるような努力をするということです。

赤ちゃんをお母さんが育てるにしても、母性愛で一生懸命尽くします。「これだけやったらこの子が大きくなったときに孝養を尽くしてくれるだろうか」とか、そんなことを思わない無償の愛ですよね。見返りなしの愛情を注ぐと思うのです。


神様も同様だと思うのです。だから、私達の方もひたすら、「神様の御心はどうなのだろう」ということに行き着くのではないかと思います。

私は、そうですね。「神様はどのように自分が行動したらお喜びになるかな、ご安心なさるのかな」と常に思いながらの行動です。

そのためには、まず「神様はいらっしゃる」と確信しないと始まらないのです。半信半疑で、「本当に神様いらっしゃるのかな」という、そういう思いでは何でも成就しませんよね。

いらっしゃるのだと確信するには、それなりの実感できるものがないといけない。私は「神様のお陰で、私は自分の力では及ばないところができたのだ」「神様がちゃんと後ろ盾となって、私を応援してくれているのだ」というような考え方でいます。自分の力だけでやれたのだということではないのです。


早朝の静かなおかげ横町 その通りに掲げられた神恩感謝の旗が目にとまります


第2章 神職として 人として
 『「運」と「縁」は120%の努力から』

藤原美津子: 上野様が、出世されて、上がって行かれるのだけを見ると、単に幸運な人だと思われると思うのですけど、そうではなくて、実はそれは百%以上のことを、誠心誠意されてこられた結果なのだと思います。

変な言い方ですけど、「器の分だけだったら止まるのに、溢れ出る程にされるから、その溢れ出たものが次に生かされているのかな」と、ご略歴などを拝読したときにそう感じたのですね。

今、世の中には、開運の為の手引きだとか、そういう本が沢山出回っていますよね。「運が強くなるには…」とか書かれていますが、先にそれを求めるからおかしなことになってしまうわけです。

よく「そこそこでいいよね」とか、「落第しない程度に七十点くらいとっていればいいか」というようなことを言う人がすごく多いのですけど、それを文字通りやっていたら、次の運や道というものは開けて来ないと思います。


早朝参拝のあと、5時から開店している赤福へ

上野様のいろいろなお話を伺ってみると、どのお立場に行かれても、求められている事が百%だとすると、120%…、満点をはるかに超えるほどされているように思います。だから、神様の方からも後押しいただけているのかなと思います。

若手の経営者の方をはじめいろいろな方にも、そういう考え方というか生き方を実践していくことこそ、日本人として本当に価値のある、本来のいい力が出て来るのだとお伝えしたいのです。

本当の開運というのは、「人から何か奪い取る」とかではなくて、自然に回って来るように自分が努力することだ思うのです。



| 5 | 67

ページトップへ