素晴らしい日本人に聞くシリーズ

神宮会館にて
上野貞文様 プロフィール
昭和六年、茨城県西茨城郡(現桜川市)岩瀬町所在鴨鳥五所神社(旧郷社)の社家に生まれ、幼時より祖父から薫陶を受ける。

昭和二十六年、国学院大学文学部史学科入学。在学中、世田谷八幡宮(旧郷社)にて蔵重命之宮司の補佐。昭和三十年同大学卒業。

岩本徳一教授の紹介により伊勢神宮に出仕として奉職。昭和三十八年宮掌に昇進。昭和四十八年、第六十回式年遷宮の皇大神宮遷御の儀にて鶏鳴所役。昭和四十九年、権禰宜。平成五年、第六十一回式年遷宮にあたり、祭儀部長の大役を務める。

平成九年、伊勢神宮定年退職。平成九年より七年余り、鹿島神宮(勅祭社)宮司。鹿島神宮名誉宮司。
伊勢神宮は、いにしえより「一生に一度は、伊勢参り」と言われるほど、日本人にとって格別の場所です。その伊勢神宮に長年奉職された上野貞文氏は、巡ってきた「縁」を大事にして、その結果として、大きな「運」をつかんでこられました。

上野氏に、次世代の徳育に関して、私たちが伝えていくべきことや、今から真剣に取り組まなければならないことについてお聞きしました。

第1章 『鹿島神宮での出会い』

藤原美津子: 上野様との初めての出会いは、雨の日の鹿島神宮でした。少し離れた社務所から、傘をさしてまで、お声をかけに来てくださってから十年以上のご縁ですが、あのときわざわざお声をかけに来てくださったのは…

上野貞文様: お参りのお姿が、私にも感じるものがあったので伺ったのです。一般の参拝じゃないな、ということを感じたものですから。

藤原美津子: 実は他の神社でも、宮司様から「お茶でもいかがですか」とお声を掛けていただいたことがございました。

ただ、上野様の場合は、あれだけの雨の日に、それも背広でもなく、山に登るようなすごい格好をしていたにもかかわらず、わざわざ来てくださったということを、藤原もいまだに申します、「あのとき、ご縁をいただいたと思う」と。

蘇れ日本人の会 藤原美津子

上野貞文様: あのとき、私もたまたま窓を開けていたのです。何気なく雨が降っているのを見ていたら、ちょうど、お賽銭箱の前に五、六人のかたがいらっしゃった。

何となくお姿を拝見して、かなりの敬神家で、徒者(ただもの)ではないというふうに感じるものがありました。それに、ご縁をいただくというのは、神様からいただくものですから。

藤原美津子: そうですね。あのときにご縁をいただけなかったら…

上野貞文様: あのときのそういうご縁をいただけなかったら、こうしてお話をすることもなかったでしょうね。

 


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