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素晴らしい日本人に聞くシリーズ

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第二章
「厳しさの中に和気あいあい」
が企業理念

藤原美津子:鳥羽会長は、24歳の時に起業され、今日の新しい日本のコーヒー文化を築かれました。起業、独立される前はブラジルのコーヒー農園で働いていらしたとお伺いしました。

やはり創業に至るまでには、たいへんなご苦労をされたのではないでしょうか。

鳥羽博道会長:客観的に見れば、苦労と言えるのかもしれません。

ですが、ぼく自身はそれを苦労と感じたことはありませんでしたね。

確かに大変なこともありましたが、いつもそれ以上に、大きな希望とやり甲斐を感じて生きてきました。

また、新しいコーヒー文化を築くなどと、大上段に構えて何かを行ってきたこともありません。

なぜ自分がここまでやってこられたのだろうと、振り返ってみると、「我欲」がなかったからだと思います。

藤原美津子:ただ目の前にあることを一生懸命に、そして少しでも人に対して、社会に対してよくしていこうとやってきた結果が、自然に現在につながっている……ということですね。

鳥羽博道会長:独立する前は他の会社に勤めていたのですが、その時代でも、「給料をもっと多くもらいたい」と思ったことや、地位を求めたことは一度もありません。

目の前の仕事を真剣にやっていると、自然に物事がうまく展開していく。「これはもしかしたら、神様がついているのかな」と不思議に思うほど、自然に運が開けていった気がします

藤原美津子:鳥羽会長ご自身が、コーヒーの美味しさに目覚めたのは、おいくつの時でしたか?

鳥羽博道会長:コーヒーとの初めての出会いは、16歳の時でした。

父と口論し、高校を中退、着の身着のままで東京に出てきた当初は、レストランの住み込みでコック見習いの仕事をしていました。

その時に初めてコーヒーというものを飲んだのです。

初めてコーヒーを飲んだ時の感想は「これがコーヒーか」という程度で、まさかこれが生涯の仕事になろうとは、夢にも思いませんでした。

コーヒーの美味しさに目覚めたのは、その後、別のレストランに移ってからです。

日本で焙煎されたコーヒー豆だったのですが、抽出機でコーヒーをいれ、飲んでいた時、日々、味が違うことに気がついたのです。

「昨日より今日の方が、味がまろやかだ。どうしたらもっと美味しいコーヒーがいれられるだろう」と考え、あれこれ工夫するようになり……。

そんな日々を送るうちに、すっかりコーヒーに魅了されてしまったのです。

藤原美津子:10代の頃すでにコーヒーの持つ魅力に目覚め、その後は、コーヒーに深く関わるお仕事をされるようになったのですね。

鳥羽博道会長:喫茶店のプロデュースや、コーヒー卸会社のセールスなどに携わりました。

仕事でコーヒーの魅力に触れるだけでなく、コーヒーを取り巻く環境や流通、ビジネスについても多くを学びました。

ブラジルに渡ったのは、20歳の頃です。ある飲食店の社長から誘われて一念発起、ブラジルを目指したのです。

当時のぼくの所持金はわずか10万円。横浜港から移民船に乗り、42日間かけてブラジルに渡りました。

藤原美津子:ブラジルでは、どんなお仕事をされていたのですか?

鳥羽博道会長:現地では、飲食店の管理やコーヒー農園の現場監督などに従事していました。

それまでは、どちらかといえば引っ込み思案な面もあったぼくですが、単身海外に飛び出し、多くの人と触れ合うことで、何事に対しても物怖じしなくなりました。また、自分の考え方にも幅ができたと思います。

このコーヒー農園で働いた3年間は、その後のぼくの人生に大きな意味を持ったと思います。

藤原美津子:日本に戻ってからは、すぐに起業されたのですか?

鳥羽博道会長:すぐにではありません。日本に戻ってからは、以前勤めていたコーヒー卸会社で再び働き始めました。

ですが、ここでの体験が、私の独立、起業の大きなきっかけを作ったのです。

実はある日社長が、先輩社員を往復ビンタで殴るところを見てしまったんです。

社長が先輩社員を殴ったのは、「重要な得意先を他社に奪われた」ということが理由でした。

私はその光景を見た瞬間、「辞めよう!」と思いました。

藤原美津子:雇用者を尊重する気持ちが、その社長にはなかった……。それが起業につながったのですか?

鳥羽博道会長:ぼくは、それまでに様々な職場に籍を置きましたが、労使相協調する会社はありませんでした。

雇う側、雇われる側が共に一生懸命に働き、お互いがお互いを認め合い、尊重し合うような会社は、なかったのです。

その会社を「辞めた!」と思った次の瞬間、「だったら、自分が理想の会社を作るしかない」と思いました。

藤原美津子:その体験が後の『ドトールコーヒー』の企業理念につながったのですね?

鳥羽会長が24歳の時、最初に立ち上げたのは、どんな会社だったのでしょうか?

鳥羽博道会長:八畳一間の場所で、ふたりの仲間とコーヒー豆の輸入・卸の会社を創業しました。

その時につくったのが「厳しさの中に和気あいあい」という言葉です。

その会社が母体となり、様々な転換期を経て、現在の『ドトールコーヒー』に育ったのですが、「厳しさの中に和気あいあい」という企業理念は、今でもまったく変わっておりません。

19歳の時、当時勤めていた会社から喫茶店のプロデュースを任された際に、「人は何のために喫茶店を訪れるのか。喫茶店では何を提供できるのか」ということを、真剣に考えました。

そして考えに考えた抜いた結果、行き着いたのが、次の結論でした。

藤原美津子:一杯のおいしいコーヒーを通じて、お客様にやすらぎと活力を提供する。

19歳の時に出したこの結論、そして24歳の時につくった「厳しさの中に和気あいあい」という言葉が、半世紀を超えた現在も『ドトールコーヒー』を支える、変わらぬ企業理念なのです。




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