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大晦日
に門松やしめ縄を飾る「一夜飾り」はよくないと昔からいわれています。その理由は「お正月の神様をお迎えするのに、たった一夜では誠意にかける」とか「一夜で急いで準備を行う葬儀を連想させる」など、いろいろな説があります。
さらに十二月三十日は「旧暦では大晦日とされるために、一夜飾りと同じ意味になる」、二十九日は「苦に通ずる」とも。
それでは一体いつ飾ればよいのでしょうか。
私は二十八日までか、遅くとも三十日に飾ることをおすすめしています。
これには新しい年の歳神様が来られる日にちが関係しています。松飾りは歳神様をお迎えするためのもの。歳神様は毎年交代するのですが、新しい年の歳神様は三十一日の早朝にいらっしゃるのです。歳神様が来られたときに松飾りがないと「この家の者は私を迎える意思がないのだな」と中へは入らず、お帰りになってしまうといわれています。その結果、自宅に歳神様のいない状態で次の一年を過ごすことになるのです。
きちんと正月飾りをして歳神様を迎えることができた場合は、大晦日に歳神様同士の引き継ぎが行われます。
たとえば結婚や出産、受験について。「年頃の娘さんがいるので良縁を得られるように導いてあげてください」「来年の五月ごろ、新しく子どもが誕生します。母子ともに健康で過ごせるようお願いします」といった具合です。
ほかにも「おばあちゃんが口うるさく、周りをしゅんとさせています。おばあちゃんを少し黙らせて、家族みんなが明るく過ごせるようにしてあげてください。私も一年働きかけて、今はこの程度になりました」など、よい話題も困った問題もしっかり引き継いで、新しい歳神様に託されるのです。ちなみに一年間お世話になった歳神様は元旦の零時ちょうどに出ていきます。
歳神様を迎える準備について話しましょう。
まず門または玄関の左右に門松を飾ります。門松は「神様のお越しを松(待つ)」という意味もあり、感謝の気持ちで歳神様をお迎えするためのものです。
一般にいわれているような「神様の依より代」や「安息所」ではありません。
もしそうであるならば、歳神様はずっと家の外にいらっしゃることになります。おせち料理も本来は歳神様に捧げるために作られたといわれていますが、外で召し上がってもらうのはおかしいですよね。松の内が開け、松飾りなどを外した後はその家に歳神様の居場所がないことになってしまいます。
歳神様は正月の間だけでなく、一年間その家にいて守ってくださるのです。
正式な門松を用意するならば十二月の初旬には注文する必要がありますが、簡易なものであればスーパーマーケットやホームセンターのお正月用品売り場で手に入ります。ただし、町内会などで配られる「賀正」と書かれた紙をドアに貼っておしまい、というのはやめましょう。
集合住宅でも玄関ドアの左右に簡易な松飾りを施すことはできます。この場合はガムテープなどで貼り付けることになるのでしょうが、神様がお通りになる門のようにするのがよいと思います。
では、歳神様はどこにお迎えすればいいのでしょうか。
床の間がある家はそちらにお迎えします。掛け軸は「初日の出」や「鶴亀」など、おめでたい絵が描かれた正月にふさわしいものに替えておきましょう。
鏡餅も飾ります。神様の力が込められる鏡餅。その力を集中させるために、大小の丸餅が重なったものを用意しましょう。最近増えているプラスチックケースに真空パックされたものでもかまいません。後に述べる鏡開きのタイミングを考慮すると、むしろその方がよいです。暖房機器の使用で室温が上がり、むき出しの鏡餅にはカビが生えてしまうからです。ただし、いくつかの丸餅が入っているだけのものは避けてください。必ず中身も鏡餅の形をしたものを選びます。
床の間のない家はテーブルに白い紙を敷いて鏡餅を飾ります。神棚があれば、その下に鏡餅を置くための机を用意するとよいでしょう。神棚のしめ縄も三十日までに新しいものに付け替えます。
ところで、年末年始は帰省するため正月は自宅にいないという方も多いのではないでしょうか。「歳神様が来てくれないのでは」と不安になるかもしれません。
正月の間、自宅を留守にする場合も門松や鏡餅などはもちろん飾っていきますが、それだけでは不十分です。出かける前に産土の神様(182ページでくわしく解説)を参拝しましょう。留守中の安全とあわせて、歳神様をお迎えできるようお願いするのです。
お年玉は「子どもにとっての臨時ボーナス」としか考えていない人が多いと思います。でも本来は「歳神様からその年の魂(玉)をいただくもの」なのです。
用意したお年玉は三方に乗せて床の間に置いておきます。お金を何日も出しっぱなしにするのは不用心なので、正月になってからで大丈夫です。
家長が歳神様に新年のあいさつをした後、長男から順に渡します。「この一年も健やかに成長しますように」という願いも込めましょう。
「大人は年の魂をもらわなくていいの?」と思われるかもしれません。たしかに子どもは一年一年目覚ましく成長するので、大人とくらべてその年の魂の重要度は全然違います。でも、本当は大人だって必要としているのです。親や祖父母に心ばかりのお年玉でもあげると喜ばれるでしょう。
元旦は「日と月の元」という意味です。太陽と月だけではありません。大宇宙そのものである。「日精」と地球全体「月精」。そのすべてがそろって原点に返る日。それが「元旦」です。昨年のいろいろな事柄もすべて改まる日と思って、清々しい気持ちで過ごしてください。そして日も月もそろって明るくなるので「明けましておめでとう」というのです。
この日は家族そろって心新たに神様にごあいさつします。家族だけでなく、神様とともに新年の訪れを祝いましょう。
元旦は「日と月の原則」にしたがって行動します。「日」を先にするということです。「日」は男性、「月」は女性ですので、妻の実家で正月を過ごすとしても、夫のご両親に先にあいさつしてから、妻の方へ出かけることをおすすめします。
誰でも「今年こそよい一年にしたい」と願って初詣に行きます。すると商売繁盛、病気平癒、志望校合格など、思いつく限りの願いごとを言ってしまいがち。でもそれは、初詣のタブーです。神様に新年のあいさつをするに留めるほうがよいのです。
「えっ、なぜ?」と意外に思われるかもしれません。しかし、人間の世界に当てはめて考えてみてください。新年のあいさつがてらに、「今年もお金を貸してくれませんか」と頼む人などいないはずです。「正月早々ふざけるな」と相手にしてもらえなくなるでしょう。
神様にその年の祈願をしたい場合は、初詣とは別にお参りしましょう。二月の後半に行われる「祈年祭」という式典などで祈願するのがよいと思います。神様に見放されないよう気をつけたいですね。
正月に飾った鏡餅は木槌などで「鏡開き」をしてから、汁粉や雑煮にして食べます。「歳神様の力がこもった鏡餅をいただくことで、一年の無病息災が約束される」といわれています。この風習は武家から始まりました。そのため切腹を連想させる「切る」ではなく、「開く」という言葉を用いるようになったのだそうです。
一般に鏡開きは一月十一日にすると伝えられています。徳川幕府の三代将軍・家光が亡くなった二十日を避けるため十一日に変更されたのだそうです。それ以前は平安時代より二十一日に行われていました。ですから、本来は二十一日が鏡開きをする日なのです。その理由をお話しましょう。
まず、「十」という数は「神様」を表し、「二十」は「二重の」という意味で「神々様」を表します。(これは数霊の話です。くわしく知りたい方は、講演会などにお越しください)
神々様は太陽(日)系と月系の二つの系統に分けられ、上の餅には太陽系統の神様の力が、下の餅には月系統の神様の力が入ります。それらが合わさることで、昼と夜、陰と陽のどちらにも神様のご加護があまねく行き渡るのです。
太陽系と月系の神様は十日ずつで交代されるので、十一日に鏡開きをして
しまうと片方の神様の力しかいただくことができません。そのため、日と月
両方の力がそろう二十日までお供えして、二十一日に鏡開きを行うのです。
鏡開きは必ず家長(会社であれば社長)が行います。いきなり餅を叩き割ったりせず、まずは心を静めて鏡餅に正対しましょう。そして、柏手を打ち「ただ今から鏡開きをさせていただきます。家長として(社長として)、家族(会社)をいかなるときも明るく照らし、束ねていくことができますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます」というふうにあいさつし、鏡餅を通して神様のお力を受けてください。鏡開きの方法は紙面でお伝えきれるもではありません。
初めての方は特に難しく感じるでしょうけれど、謙虚に、真剣に行うことが肝心です。
正月を過ぎると、一年の中でもっとも寒い時期が訪れます。「寒の入り」といわれ、一月五日ごろが二十四節気の「小寒」、二十日ごろが「大寒」です。この寒さを乗り切るため、剣道などでは「寒稽古」によって身体を鍛えます。「大寒禊ぎ」という行事をする神社もあります。ふんどし一枚の裸になって冷水を浴び、無病息災を祈るのです。関東では鹿島神宮などで行われています。
身を清め、心を整える「大寒の禊ぎ」は、このように修行に励んでいる人たちだけでなく、皆がするとよいことです。
ただし、私たちは修行者ではありませんから、冷たい水をかぶる必要はありません。大事なのは身を切るような寒さに耐えることではなく、心身の垢を落とすことなのです。
「蘇れ日本人の会」では入浴時の禊ぎをおすすめしています。皆さんは湯船に入る前、浴槽に張った湯を汚さないためかけ湯をするかと思います。このとき「身体も心もきれいに」という思いと言葉を加えることで、禊ぎになります。
「念と言霊」といって心の中で思うだけでなく、声に出すことで神様の力が働きます。人間の思いや考えはすべて神様に見えています。でも神様が人々の為に力を働かせてもよいのは「その人の思いと言葉が一致し、それを声に出したとき」というルールがあるのです。
かけ湯の際「身心霊ともに」といいながら浴槽のお湯を汲みます。そして、気合いを込めて「清まれ!」といって、お湯を肩あるいは頭からザバッとかぶります。最初は五〜十回くらい行えばよいでしょう。そして湯船に浸かり「今日一日、ありがとうございました」と手を合わせてお礼をいってから、手足を伸ばしゆったりと寛いでください。
以前、会社が倒産した知人に「債権者から追われ、ストレスで夜も寝られない」という話を聞きました。この方法を教えたところ「数ヶ月ぶりに朝までぐっすりと眠れるようになった」と報告があり安心したのを覚えています。日本人は昔からお風呂好きです。お湯は「火と水の接点」であり、「火と水」の懐でもあります。
現代人の多くは神様とも仏様とも離れ、セカセカ、イライラとした日常を過ごしているのではないでしょうか。そんな中では心の汚れや垢がどんどん付いてしまいます。
自宅のお風呂での禊ぎならば、大寒だけでなく毎日でも行えます。心が折れそうなときや精神的に厳しい時期を乗り越えるためにも、ぜひ実践してください。
「心を添えてこそ美しい 日本のしきたり」
著者 藤原大士 藤原美津子
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